2003.2.6死後5年、バルバラの歌が大いに注目され、売れ続けているとのこと。もうちょっと低音だったらもっと良いと思うんだけれど、これは趣味の問題で、深く訴えるものがある偉大な歌手ですね。
Ecouter la leçon de Barbara (2003.2.6)
バルバラの教えを聴こうセルジュ・ウローが、この政治的関心の高く、傷ついた一人の歌手の人生を舞台化した。死後5年経って、彼女の歌はいまだに世の中に感動を与える。バルバラは1997年11月24日、パリで死んだ。呼吸器系と消化系の炎症であった。67歳だった。彼女は死に、その前も90年代に入っては疲れ切って喉を痛めていたが、そのことは彼女がいまだにアイドル的な存在であることには少しも影響していない。今日、彼女の歌は、故ブレルやブラッサンスのものよりも多く歌われているのである。
彼女のサイト(lesamisdebarbara.free.fr)ではバルバラの友人達が彼女に関するすべての事柄を公開している。ダミア、イヴォンヌ・ジョルジュ、エディット・ピアフ、マリアンヌ・オズワルドから彼女に繋がるそうそうたる系譜図まで掲げている。セルジュ・ウローは彼の新しい芝居にバルバラを扱う。「お上品な文化はシャンソンを嫌う。なぜならシャンソンは直接的だからだ」とこの喜劇役者は言う。
彼女はいつも黒い服を着て熱狂的なファンを集めた。晩年は四方を壁に囲まれた庭のある修道院風の引きこもった。死後5年経った今、なぜバルバラの教訓的な歌を聴かねばならないのか? どうして今でもこのアンチ・ポップのスターはこれほどまでに人気があるのか? まずフランスのシャンソンは長い歴史があることを挙げねばならない。黒い服に身を固めたバルバラは昔から体験されたシャンソンを代表する宗教的存在であるのだ。
そう「体験されたシャンソン」なのだ。彼女は惨めさを歌い、よろこびを歌い、時代を歌う。彼女は有名な人気歌手ではあったが同時に政治的参加をする歌手でもあった。平和主義者で、エイズ撲滅運動の運動家でもあり、ミッテランの支持者でもあった。でもバルバラは代弁者、先人の意向を巧みに伝える人として仕事を始めていることが重要だ。1950年代には、彼女はピアフの歌をなぞりながら作詞しているのだ。
バルバラは激しく仕事をして、膨大なレパートリーを増やした。レオン・サンロフ、アンリ・フラグソン、モーリス・キュヴリエ、ポール・マリニエなどの歌である。若い作詞家の歌も多く歌った。ジャック・ブレル、ジョルジュ・ブラッサンス、レオ・フェレ、モーリス・ヴァダラン、ルネ・レヴェックなどだ。1960年には「バルバラ、ブラッサンスを歌う」でグランプリを獲得している。次にブレルの歌で。
1958年には78回転や、45回転のレコードからはじめ、以来多くの歌を発表する。
若い世代がバルバラから学ぶことの第一のものは、彼女の歌は決してゼロから作り上げたものではなく、ベースにあるしっかりした芸術的文化の上に作り上げられたものだということである。バルバラが古い歌を歌う時、それは決して世代を超える共感を求めてではなく、彼女の歌に対する愛と博識がそうさせているのである。
「世に認められない才能なぞはない」とバルバラは1981年インタビューで語った。「無理をしてデビューしようと苦しんだりせよと言うことではなく、うちに秘められた才能がないのに努力してもしようがないということ。これは宗教みたいなものでなければいけない。私より歌のうまい人はいるが、歌で人に何かを与えなければ意味がない」と。彼女は霊的なまでに魅惑的で、いろいろな伝説の持ち主であるが、一つ確かなことは、彼女は、彼女自身も、くるしみも悲嘆も、惜しみなく人に与えたということである。
心理学者がいうように、彼女は悲惨な状況を大きく強調し、何とかしようとする独特の素質に優れていた。日常的なことを取り上げ、差別の問題と戦った。ラシズムとも戦った。薬害エイズ問題とも戦った。
彼女は、長く内に隠していた自分自身の秘密も、徐々に語るようになる。ユダヤ人でありナチの恐怖におびえたこと、幼い時に父親に強姦されたこと、戦争のこと等々。
彼女の歌を聴く時、人はジェノサイドと火葬を思い起こすことになる。三年がかりで作詞した幼年期の心の傷を訴える歌もある。
バルバラは今、シルヴィー・ヴァルタンなどのアメリカン・ロックと共に若い世代に受け入れられている。しかしバルバラはそこに留まるものではない。彼女の歌は、トゥストやヌーベルバーグのMGの軽薄さに、青春に生きるくるしみ、愛が成就できないロマンチックな悲劇的なものと映る10代のくるしみを付け加えるものだ。若者の通過儀礼でもある。彼女の苦しみに満ちた人生は、彼女が訴える一枚板ではない多様な希望を抱く「若者達」に常に支持されるのである。
Véronique Mortaigne・ ARTICLE PARU DANS L'EDITION DU 06.02.03